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編むことは書くことの代わりで、
もともと、わたしは文章を書くのが好きだった。好きだったという言い方をすると、少しちがう気もするけれど、文章を書くことでなんとか生き残ってきたという感じ。
でも、文章を書くことがすごくつらいことも多くて、かといって書かないとそれはそれで同じようにつらくて、消化不良で重たいお腹を引きずりながら生きてるみたいで。だから、無理して書いて、無理して生きてるみたいなところはあったかもしれない。
だけど、最近のわたしはそういう生きるつらさから解放されているような心持ち。
自分のネットショップをもって、どうなるかわからないながらも、心底良いと思えるものを編んで、ショップに並べている。それがなかなかにわたしのメンタルには良い影響を与えているらしい。
編み物は、いまのわたしにとって、文章を書く代わり。編んでいくカーディガンのなかに、物語を編み込んでいくことで、言葉にできなかったことや、感じていることを表現できている気がする。ファッションとアートと文学(というほど大それたものではないけれど)の融合。
先日編み終えたカーディガン「地層と水脈」が、自分のなかでは最高傑作で、見るたびにため息を溢してしまう(自画自賛)。
編み物って、どうしてもおばあちゃんの趣味とか、クラフトの枠をでないような気がしてしまうけれど、きちんとアートになりえるんだなって、心底思ったの。そして、自分が良いと思えるものをつくれていること、その嬉しさって何ものにも代え難いなって。
以前アパートメントでも書いたことなんだけれど、わたしは自分で編んだものに対して、すごく複雑な気持ちを抱いていた。自分自身にも、作品にも何重もの呪いをかけてきた。だけど、少しずつその呪いから、自分たちを解放してあげられているのかもしれない。自分の直感を、そして自分自身のことを以前よりも信じて。
三十半ばになって、ようやく半人前くらいの自己肯定感というか、自信を身に付けられるようになってきた気がする。これもひとえに、ひたすら編んでいるからなんだろう。編むことは書くことの代わりで、わたしには欠かせないライフワークで。
できれば、今後もどんなものが編み上がっていくか、わたし自身の変化とともに、見守ってもらえたら本当に嬉しいです。
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